小田協議会会員のNPO法人小田地域振興協議会さんが、筑波山麓秋祭りの一環として主催した、小田歴史探訪にご同行させていただきました。
清々しい秋晴れの中、早朝から集まった歴史好きの5名と、電動カートに搭乗して出発です。
このカートは、国土技術政策総合研究所が実証実験として貸し出したもの。
最高時速は20km/h未満に制限されているものの、一晩の充電で1日2回のツアーも十分耐える優れものです。
歴史ガイドと小田城郭を辿る
ガイドの東郷さんは、地元小田で生まれ育った大の歴史好き。
建設や不動産業を経て、現在は宝篋山小田休憩所の主として、地域ガイドのボランティアをしているそうです。
初めに小田城歴史ひろば案内所の展示を用いた、簡単な説明がありました。
小田家初代の八田知家(ともいえ)は、源頼朝が平家を打ち破り武士の世を創り上げる過程で功績を認められた、鎌倉幕府の有力御家人でした。
1189年に、彼は頼朝から常陸国の守護に任じられます。
これが、小田氏一族が常陸国、特に小田の地に深く根を張る第一歩になりました。
そこから1602年に廃城になり、小田氏が歴史の表舞台から姿を消すまで約400年。
彼らが生きた証を、小田城跡や町内の各所に残る土塁や堀跡からたどります。
国指定史跡小田城跡では「涼台(すずみだい)」と呼ばれる土塁の高台に上り、目前まで水が来ていて桜川の水運が使えたこと、庭園を備えた戦国の城は珍しいことなどを教えてくれました。
さらに小田小交流プラザの向かいにある、人がやっとすれ違える小路を抜け、土塁の跡に登りました。
小さなお稲荷さんの祠があったので、取り壊されずに済んだのだろう、とのことです。
カートで移動しながら「この貯水池がある辺りはずっと堀」などと解説していただくと、この小田のまちが本当に城郭を基にできていることがよくわかりました。
寺社に残る高度な石造文化
それからカートは宝篋山小田休憩所を目指しました。
このあたりは高僧忍性(にんしょう)の拠点「三村山極楽寺」の跡にあたり、かつては多くの伽藍が立ち並んでいたと推測されています。
4代目当主小田時知(ときとも)が大和国(現在の奈良県)西大寺から忍性を招き入れ、鎌倉中期の約10年間にわたり、その宗教と社会奉仕活動を強力に支援したそうです。
この時に招致された職人たちによる、優れた作品が今なお小田の町内に残っています。
極楽寺跡に現存する「石造地蔵菩薩立像(湯地蔵)」、長久寺に移築された関東最古の「石造灯篭」、城内に移築されたつくば市内最古の年代がわかる石造物「不殺生界碑」、カートで登れなかったものとしては極楽寺奥の院の「五輪塔」、宝篋山山頂の「三村宝篋印塔」です。
カートではほかに、小田流剣術の祖である8代目当主小田孝朝(たかとも)の墓と、小田家に関する詳細な記録を残した江戸後期の学者長島尉信(やすのぶ)の墓と屋敷跡を巡りました。
参加されたみなさまも、東郷さんの自在なトークと人柄に魅了された様子で、最後まで聞き入っていました。
小田という地域は、小田氏と小田城にまつわる戦いと信仰や芸術が織りなす、文化のゆりかごであることを感じました。
電動カートによる小田歴史探訪は、来年(2026年)の筑波山麓秋祭りでも開催予定とのことです。
よろしければ、ぜひご参加くださいませ。














