朝から小雨が降り続ける中、
シャラン…シャラン…と鈴の音とともに、巡礼者の列がお見えになりました。
小田地区の西、北太田(きたおおだ)。
光蔵院というお寺だったところです。
桜川流域の巡礼の一行
昔から変わらない、曲がりくねった細い参道の突き当りに、旧境内が広がっています。
背面の竹林の向こうはもう、桜川。
20名弱ほどの巡礼の方々が、二尊のお大師様の祠を前にお経を読まれ、
それから毘沙門堂の毘沙門様にお参りされました。
みなさま白衣(はくえ)に身を包み、網代傘には「同行二人(どうぎょうににん)」とあります。
その姿を後ろで見守っていた区長さんが、
「今年で192回目なんだって」とそっと教えてくれました。
「そんなになるんですか?」
「そう、10日かけて桜川流域のお寺を88ヵ所、毎年回るの」
「四国と同じように、わたしらもご接待(おもてなし)をするんです」
いまも続くご接待と御詠歌
となりの集会所では、ご接待の場が設えられていました。
東福寺ご住職のご説法があり、そのあと簡単なお昼となりました。
「70,80年前は、100~200人で歩きました」とご住職。
「昔は簡単に家を出られなかったから、結婚相手に出会ったり友人にも会えたんです」
「でも今だって、こうしてお参りに来るから、お堂をきれいにするために人が集まるでしょう?」
「それがいいんです」
朝から地元の方々が何人も、お布施のために杖をつきながら歩いてきて、
「あら、どうしてたぁ?」と互いに声をかけていました。
この巡礼は小田の長久寺から昇進した明光(みょうこう)というお坊様が始めたそうです。
四国八十八ヵ所を巡礼したのち、桜川流域にも広めたいと募集したのだとか。
「昔は電話もメールもないから、一度触れを出したらもう決まり」
「行く日時も場所もね、泉の慶龍寺や小田の東山(お大師様)などに泊って歩き続けたんです」
それから、「御詠歌帳(ごえいかちょう)」を見せてくださいました。
さきほどお大師様の前で詠まれていたものです。
「一番から順に詠むので、北太田は第五十一番を詠む、と決まっています」
「ご接待のあとには「お茶の礼」を詠みます」
「ご接待して頂いた方には功徳がある、という内容です」
つくば市最古の毘沙門天
ご接待の場である集会所の一角には、古そうな木像が安置されていました。
「この毘沙門天は、つくば市指定文化財なんですよ」
「平安時代半ば、11世紀の作で、つくば市最古と分かっています」
そういいながら、地元の方が自作のパネルを指しました。
好きが高じて大学に通い始め、この件で論文まで書いたのだそうです。
「背書きには「天長元年、空海作」とあります」
「でも本人が来たという話は残ってないので、仏師集団が来たのかも」
「鈴鹿市の空海作といわれてる多聞天と、様式が似ているから」
「江戸時代に今の毘沙門天を安置するまで、こちらが毘沙門堂にあったんでしょうね」
桜川の流れを千年見守ってきたこの毘沙門様には、
江戸時代に始まった100人を超える巡礼や、今のご接待でのおしゃべりが、
どんなふうに聴こえているんでしょう?
小田小交流プラザのホームページに、いらっしゃいませ。
「それがいいんです」って、いい言葉だなぁと思いました。















