1枚の古い写真
地元のご高齢の方が、1枚の古い写真を見せてくださいました。
「二十数年前の、宝篋山の写真なんです」ということでした。
年間10万人以上のトレッキング愛好者が訪れる、小田一番の観光地、宝篋山。
それがこんな竹藪だったとは。
長く管理をしてこられた東郷さんに、いまに至るまでの話を伺いました。
ゴールデンウイーク前の平日の朝。
ロッジ風の宝篋山小田休憩所は少し薄暗く、やわらかい春風が流れ込んできました。
ときどき登山客がちょっと中を覗いて、ペコリとあいさつをしていきます。
古写真を見ていただくと、
「あぁこれは、当時の市長だねぇ」
小田の住民が、山頂近くの竹藪を払うために集まったとき、来てくれたそうです。
「実は3回やったんだ」
「最初は麓から登る組と、頂上まで車で行って下りる組に分かれて、ルートの下見をしたんだよな」
「でも藪が深すぎて、とうとう行き合わなかった」
高度経済成長と宝篋山
「俺が子どもの頃は、”はだし”で登ったくらいきれいな松の山でね、道なんて縦横無尽にあった」
大抵は燃料を採りに行っていた。
でも東京オリンピックの建設が始まると、2日出稼ぎに行くだけでその燃料が買えるように。
10年もたたないうちに、山全体が荒れ果てて竹藪になってしまったそうです。
そのあとも宇宙のテーマパークやら、高級住宅地やらの計画が、出ては消えていきます。
やがてバブルが崩壊したとき、地元で建築と不動産の会社を経営していた東郷さんに、区長から相談がありました。
「宝篋山を、なんとかできないか」
ちょうどトレッキングが盛んになってきた頃、登山道の開発を始めたそうです。
一人からの登山道整備
「(やぶ払いは)3、4回やると、もう誰も来なくなった」
それからはずっと一人で、たまの旅行を除く毎日、宝篋山の竹藪を払い続けました。
「下を刈っても、上が蔓草でつながっているから、倒さなきゃならないんだ」
とうとう奥様から、
「あんたそんなことしてたら、会社つぶすよ」
と言われます。
「(家の方は)なんとか食べていけるから」
背中を押されて、会社を売ったそうです。
2006年にはつくば市の支援があり、小田休憩所を建てました。
「(このころの登山客は)土日祝日に車3台、平日は0台だった」
それでも一人で刈り続ける姿に、作業に加わるボランティアが出てきます。
こうして3年後、ついに今の形の登山道が完成しました。
忍性の生誕800年となる2017年には、頂上に銅像を建立しました。
宝篋山に極楽寺をひらき、差別され続けたハンセン病患者たちの救済に尽力した高僧です。
「忍性に惹かれたってのは、確かにあるんだよな」
ポツリと、そうつぶやきました。













